【研究局】令和2年度 第9回局会報告(後半)
前回の続きをご報告します。
【前回からの転載】令和3年2月28日、第9回の研究局会がZOOMで行われ、題材の持ち寄り研修を行いました。講師の先生は、帝京大学教授の辻 政博先生と墨田区、八王子市で図工専科として活躍された後、現在は八王子市で特別支援学級の図工講師をされている辰野 美奈子先生です。(※講師の先生方の所属は、局会開催時のときのものです。)
【多摩市立多摩第一小学校 内村先生】
「わたしは守護神」(6年生)
内村:自分のなりたい守護神をポーズや表情を工夫して描こうと伝えて始めた。「風神雷神」を鑑賞して手形を付けて描く題材をやったとき、「僕が神様になるんだね。」と言った子がいた。自分の延長としての表現、自分自身だなと思える表現したくて考えた題材。力を得た自分が何かを守ったり、行動したりするイメージで描かせた。
関 :人の形にこだわって身体のパーツにこだわって指導されていたが、神様ってもしかしたら形がないかもしれない。そのあたりは何かあったのかな。
内村:自分が神様になるのが面白い。そこからイメージがあった。手形を拒否して描いた子もいた。鳳凰を描いた子です。
辰野先生:内村先生の指導もビシッとしていてすごいなと思います。でも、教える図工だなと思いますね。風神雷神もなんでバックは金色なのかなとか。手の動きもわからない子にはいい。自由度の兼ね合いは難しい。この前(研究局員の)森さんの展覧会に行ったときにね、ものすごい自由度なの。ボックスアートも、「えっ」ていうのがある。すごい面白かった。同じ学校の特別支援学級の指導を見たが、森さんの指導とは全く違う。ものすごく手順を追って教え込んでいる。特別支援学級ってそういうのが大事なのかな。内村さんも色々やってらっしゃっているけれど、その辺の兼ね合いじゃないかな。
辻先生:図工の授業を見ていくと、二つの側面がある。一つは指導法。ある目的があって、そこに到達するために、手順を設定してあげて、ラインに沿って、子供が活動しやすくするための方法を考えるということ。もう一つは、題材開発的な側面。二つの要素があるとすると、指導的な側面、教師がどのような戦略をもって指導したかという側面にも配慮した発表だった。ただ、子供の造形表現の本質を考えていくと、工業製品のようなある一定の手順を踏んだ行程とは異なる過程があるんじゃないかなと思う。ブリコラージュと言ってフランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースが「野生の思考」という中で言っているんですけれど、あり合わせのものを寄せ集めてつくる思考法がある。子供の思考法は、そのブリコラージュに近いものがある。手持ちの材料を操作して組み合わせていくうちにジャンプしていくっていうか、違うものがそこに生み出されていく。それこそが子供の表現のダイナミズム。そういうふうに考えていくと、教師側の指導の過程は、子供の本来もっている表現力とか思考法を妨げないように過程を考えてあげるのが大事。そうすると、例えば風神雷神は、二つの切り口があった。鑑賞と手形。段ボールを関節ごとに切って、並べさせるというのもやってましたね。子供の発想からすると足が短かったり、ビヨーンと伸びていたりもする。子供の独特のフォルムみたいなもの。関節を並べさせることでそういう突発的な表現は排除されてしまう。その兼ね合いをどうしていくかっていうのが、教師の腕の見せどころであり、面白さ。実際どうしていくかは、個々の教室の問題であり、外部から言いにくいものですけど、考えていくのは大事なことだと思います。親の問題は、親、まずは同僚、管理職に理解してもらうこと、図工室ではこんなことをやっていますよと巻き込んでいく。そういうことをきっかけにしてコミュニュケーションの場が生まれると図工もやりやすくなるし、理解も深まっていく。今の図工の先生は、外部を巻き込んでいくのも大事ですね。
森 :僕も今回6年生で自分の計画に沿ってやらせたいということで、ボックスアートをやった。親ではなく、教師とのやりとり、話し合いをもって進める。「私は、こういうものをつくりたいから、こういう材料がほしい。」「じゃあ次回までに用意しておくよ。」「これは代わりにこっちにして。」など。よかったことは、会話ができる子とは、どんどん話が深まってじゃあこうしようとなる。ただ、自分が全員とそれがしきれなくて、結局話が深まらないまま終わってしまった子も大勢いた。残念というか、自分に限界だった。辻先生のお話の「ブリコラージュのように「図工室のものを寄せ集めて僕の図工の好きな授業を表現しました。」という子もいれば、「自分の冷蔵庫をつくりたいから設計図を描く。」という子もいて、いろんな表現があっていいと思っていたが、やってる過程が全然違うんだなと思って、学びの質が人によって違うのは、もしかしたらいいことじゃないのかなと反省した。もう一つは、面白い話。2年生で帽子をつくったら、2メートルくらいのベールのようなものがついた帽子をつくった。図工室の引き出しにあるものをどんどんつなげていったら、取り返しのつかないくらいの大きさになっていた。もう終わりだと言っても、「いや、まだ僕は終わっていません。」と続けている様子を担任から親に話してもらった。すごい大変なものができたので取りに来てほしいと親に相談すると、展覧会の終わりの時間に来てくれた。僕は電話までしちゃってどうしようとドキドキしていたら、おじいちゃんもおばあちゃん、お父さん、お母さん、親戚のおじさんまで連れて、すごいのをうちの子がつくったらしいとぞろぞろ来て、「すごいね!先生も一緒に写真撮りましょう。」と言って、それを被って車まで行くところを動画まで撮ってくれた。すごいそれが嬉しくて、そのおおらかさに感謝した。もちろんたまたまそういうお家の方だったのだけれど、こんな経験はじめてだった。自分しか知らなかった(図工室での)面白いエピソードが共有できた瞬間が今回あった。あまり関係ないかもしれないけれど、言いたかったので話しました。
【足立区立竹の塚小学校 清水先生】
「だんボールになにかこう」(1年生)
清水:1年生「だんボールになにかこう」です。今回は、いろいろなダンボールの形から表したいことを見つけて表せる、画用紙だけでな身近な材料も表現する材料なんだと気付いて楽しく表せる力をつけたいと設定した。色々な形の段ボールを見せて紹介して、板書に書いた。子供たちは、長四角、横長四角、真四角、ダイヤ、パタパタ四角など、四角に色々な名前をつけていた。
栗本:パタパタ四角という名称を子供が自分で考えているところがいいと思った。工業製品のような製作過程とブリコラージュ、教師主導…という話は、長い間、研究局や都図研全体で話されている話題。例えば、都展や市展なんかだと、1題材全ての作品ではなく各題材1~2点だけの展示なので、子供が自分で考えているのか教師主導なのかの判別が難しい。細かく指導を入れた作品の方が見栄えがいいこともあり、多くの作品が教師主導で行われていると感じる。図工での子供の主体性について研究局が伝えていくことがまだまだ足りないのかなと思う。清水さんの題材を見ると、子供が自分で発想している様子が作品から伝わってくるのでいいなと思った。うちの学校でも、主体的に活動させるため主題を子供に委ねると、そういったことに慣れていないため思いつかない子や大人の理解を得られないような表現の子が出てくる。学校の実態によって、そういう子の割合が増えれば、それは指導力不足という話にもなりかねない。教師間や保護者間の信頼関係がそれで崩れることもあるので、そういった指導に踏み込めない図工専科も多いのではないかと思っている。河原さんの展覧会では、うまく展示方法を工夫して子供の表現のよさを引き出していた。作品の展示も含めて、子供がやったことをどう大人にも説明していくのかについて、我々が提案していけたらと考えている。
石渡:最初にアイデアを共有したと聞いたが、作品を見ると、桜の木とかダイヤなど共通するものを描いている子もいる。最初に描きたいものを共有することで子供にどんな影響があったと思いますか。
清水:そうですね。そこまで同じのが何個もということはなかった。共有させたのは、形からどう考えていくかというところを押さえたかった。形からどういう考えをもったか尋ねた。
石渡:清水さんの発表を聞いてみると、「天の川」など具体的なものが出てきたんですね。私は低学年の子を教えていて、具体的なものが共有の場で出てくると、それに引っ張られてしまう子が多いと感じている。アイデアの共有が最初にあったことがよかったのか…板書を使わないでもやりながら共有していく方法もあったのではないか。
清水:そうですね。文字で出てくると強いというのはありますね。
辻先生:板書を使って図式化していたのは、一度図に置き換えて子供に提案するというのは、何かそこに描いてよ!というメッセージが伝わっている。どこまでをよしとするのかというのは、授業のポイントになってくるところ。無制限ではない。幼児は、絵の具をやりたがる。絵の具が混ざっていくのが面白い。絵の具遊びで、お絵かきではない。どっちのシフトでいくかでだいぶ違う。区展なんかで、素朴な表現が認められないという話があります。理解のために誤解されないように提示していく工夫も必要です。できている作品もできていない作品も平等なので、、その辺りを考えて、図工室の自由を守るために外部に向かって戦略的に考えていくことは大切です。思いつかないという話は、子供の自然な姿を見ていると子供は思いついている。子供は遊びの天才。教師の提案の意味がわからない、伝わらないから思い付かないとなる。本当は素材そのものがあれば遊び出す。どう環境を調整していくか。都図研の研究で示唆していけるといい。段ボールの素材を通して子供の表現について考えるきっかけとなった。
【講師 辰野先生】
題材紹介
辰野先生:今、特別支援学級に3校行っている。(作品を見ながら)節分で描いた。1〜6年までいて、大人もいっぱいいる。最初は、図工室で、一人でやっていたので違和感があったが、今はサポートしてもらいながらやっている。
↑鬼の意味を考えさせながら、自分の直したいところ、例えば、「ダイエットしなきゃいけないのにケーキ食べちゃう鬼」と言って、ばっと描いて見せる。落ち込まないように、サラッと描いた。ゲームすぐしちゃう鬼。噛まないで早く食べちゃう鬼など。新聞紙を小さくちぎって指先で丸めて豆をつくった。指先の力が弱い子もいる。枡をつくって、何度も投げて楽しんだ。
↑こちらは、「ピーナッツでP君をつくろう」豆の代わり にピーナッツを投げたクラスからもらって…。やり方をある程度教えないとわからないので、巻いたり、さしたり…モールも用意した。ピーナッツを育てた話をしたら、その話に影響受けて土の中の生き物描いた子もいた。
↑自粛中に自宅課題も出した。ダンボールを縫うという活動。
↑自粛明けの題材。「自然と親しもう」雑草をたたいて絵にする。スギナ、ヨモギはよく出る。デカルコマニーみたいになる。平らなままだとずれてくるので、挟んだ。音に弱い子もいる。そういう子はヘッドフォンをした。綺麗な色の花でも色が出ないものもある。ここから何か発想をさせて描かせたがうまくいかなかった。もっとストレートな表現でいいんだと思った。みを拾ってきてぐちゃぐちゃに潰して絵を描いた。 いつもはやらない子が3枚描いていた。その前の週に植物を潰そうというのをやっていたので合わせてやっていた。木槌で潰したが闇雲に叩く子もいるので、目標があった方がいいかなと思った。クリアファイルに挟んで叩いた。中身は、見えない方がよかった。植物を直接潰している感じが、心が痛む。挟んで叩いてあらこんなふうになったというのがいい。版画みたいな感じ。
↑「海の中」という題材。自粛で海行けなかったよねという話から…。小麦粉を鍋で煮てのりをつくって、まずは泳ごう!と言って、楽しんだ。のりだから軌跡が残る。白ボール紙の上でぬるぬるしていて気持ちがいい。乾いた後にトレーシングペーパーに魚を描いて貼った。色鉛筆やペンで描いた。スプレーで水を吹きかけるとそのまま張ることができる。展覧会で結構好評だった。
この写真は何でしょう?(写真を提示してくださいました。)大谷石の採掘現場に行って、これが機械掘り、これは江戸時代の人が掘った跡。美しいでしょう。子供も跡が大事。子供が動かした跡が大事だなと思う。
↑これは、カッティングシートをもらえる、ということで何かできないかと思って。「what do you see?」という絵本。最初目だけが出てきたり、足だけ出てきたりするのを読みながら一つずつ描いていった。「モンスターがやってきた」という題材。わかりやすいのも大事。
(作品写真なし)
これは、「只今建築中」というのをやろうと思ったけれど、スタンピング遊びになった題材。段ボールでポンポンする。スタンピングで人を描いたらずっと人を描いてる子もいた。担任の先生が「只今建築中」って題材名はやめましょうとなって、「スタンピング遊び」になった。これは「只今建築中」違う学校で展覧会の時。置いてあるとごちゃっとなって見える。区画を分けて展示するように考えた。ゼンリンの地図を拡大して下に引いたりもした。
(作品写真なし)
ここからは、昨年度の作品。「世界すごい顔コレクション」アフリカの人の化粧など見せて。肌の黒い人、白い人、世界中にはいろんな肌の人がいるんだよと話して。デカルコマニー遊び。
↑これは、心が動くときじゃないけれど、ぐーっとボールペンで、ボールペン1本なくなっててもいいくらいだからねと言って、ぐるぐるぐると丸を作りましょうってそこから始めた活動。これは密になる前の時の題材。
↑黒い紙に描こうという活動。下には濃い色、上に胡粉で軌跡を描いた。上から色をつけようか考えたけれどやらなかった。題名をつけるとみんなちゃんと考えてるんだなと感心した。よく見ると鳥がいる。滝が落ちているような勢いのある絵。
関根伸夫の「位相ー大地」を思わせるような絵だなと褒めた。ドバッとやったから、こっちを凹ませた。子供ってそういう感覚ある。線で落書きしよう。文字入れないそれだけの指示。黒板におすすめを貼った。ものすごい教室中いっぱいになった。
↑最後に、ここはどこだかわかりますか。
小田原の江之浦測候所というところ。行ったことない人は行ってみてください。とても心が動くところです。心が動くって結局先生が心動いてないと、子供の心は動かないですよね。
辻先生:辰野先生ありがとうございました。辰野先生が遊んでいる感が満載で、表現活動の原点大元な感じがして改めて子供の表現について考えさせられた。特別支援教育ということもあるが、自然や素材とどうかかわっていくかというものを感じた。コロナ禍で大学もリモートが増えている。やっぱり身体性というのが、図工の存在意義だと思います。リモートであっても、それが働くような場をつくっていくのが大事。今、プログラミングも教育の中で主流になってきているが、そういう情報操作的なものではなくて、身体性に根ざしているんだとコロナ禍で実感している。
たぶん自由度が一番大きいのが図工。生活科や家庭科も身体性はあるが、最後は到達するような知識の体系に吸収されてしまう。
図工は、経験の中に生まれてきた意味をまるごと取り出せる教科。その部分に注目して研究を進めていただければと思う。皆さんの研究発表を見せていただいて、刺激を受けた。またこういう機会があったら、参加したいです。長時間だったが、あっという間でした。ありがとうございました。
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以上、辰野先生と辻先生を講師にお迎えして行った2月の研究局会のご報告です。
辰野先生の題材紹介では、すべての写真を掲載できず、伝わりにくい部分があり、申し訳ありませんでした。
辰野先生の図工にかける情熱、辻先生の示す新たな視点と、様々な学びがあった持ち寄り研修でした。また目の前の子供たちに還元していこうと思います。
さて、ここまでで昨年度の研究局のご報告を終わります。
次回からは、令和3年度の局会の内容についてご報告していく予定です。
よろしくお願いします。
担当:練馬区立北原小学校 金垣 洋
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