【図工室探訪】練馬区立光が丘第八小学校 玉置一仁先生

都内各ブロックの図工室を探訪し、「空間」に留まらず、「人」「取り組み」「考え方」など、多角的な視点から取材をし、発信していきます。今回は、玉置一仁先生の図工室です。


先生の“匂い”がする図工室 

光が丘第八小の図工室は、どこにでもあるごく普通の図工室だ。特別な材料や目新しい仕掛けもない。むしろ、学びのユニバーサルデザイン(UDL)の視点から、子供たちに過度に刺激を与えないように材料や用具を隠している。だから、空間はシンプルで整然としている。  

ところが、不思議なことに、ここには独特な空気が漂う。随所に小さなキャラクターたちがひっそりと潜んでいる。あれ、こんなところにも! あっ!ここにもいた! 思わぬところで思いがけず出会うから笑ってしまう。  


そんないたずら心たっぷりの小さな住人たちの仕掛け人は、この図工室の主、玉置一仁先生だ。  「図工室をつくる上で、特に気をつけていることはありますか?」と尋ねると、「特別なことは何もないですが」と言いつつ、「一つ挙げるなら、自分の“匂い”がするようにしていることかな」と玉置先生。よく見ると、壁には玉置先生の趣味のクワガタの写真やカレンダーも並んでいる。ここで言う“匂い”というのは、なんとなく感じる雰囲気、その先生の気配のようなもののことだ。  

学校の教室として、しかも、ユニバーサルデザインの視点で考えれば、学習空間はできるだけ個性がなく、ニュートラルな方がよいと考えることもできる。しかし、玉置先生は、あえて気配を漂わせている。一体なぜだろう?


▲クワガタのことを楽しそうに語る玉置先生   


「自分」として、子供と一緒にいること  

「先生としてじゃなくて、自分自身として子供と向き合うようにしている」と玉置先生はいう。一般化された「先生」を演じるのではなく、一人の人間としての「自分」でいるように心がけているという。自分として立つことで、子供との「距離感」が近づいていく。  

「例えば、『絵の具を塗ろう!』じゃなくて、この作品に色を塗りたくなるってどういうことだろう? って、子供たちと一緒にリアリティを感じていたいですよね」、「どこかから借りてきた題材や導入は、子供には伝わらないんです。『自分』の心の中で咀嚼して自分の様式として(自分のものとして)出さないと、子供に伝わらないですよ」「(授業の中で)子供と一緒に感じて、一緒に見つけて、一緒によさを味わいたい」と語る。  

「ちゃんとした先生でなければ!」「あの〇〇(参考書など)みたいに、ちゃんとした授業にしなくちゃ!」と、私たちは、どこかにあるかもしれない正解の「先生像」や「授業像」を意識し過ぎて、目の前のリアリティをつい見失ってしまうことがある。  

しかし、一番大事なのは、目の前にいる子供たちのリアリティであり、それに正面から向き合う「私自身」のリアリティである。 図工室にいる私たちが、まず自分らしさを発揮していること、自分として正直であることが、図工室という空間、そして授業という時間を魅力的にする最初の一歩なのだと、改めて考えさせられた。 


クワ眼と虫眼と、図工の眼 

自他共に認める「クワガタ好き」の玉置先生は、休日はもちろん平日の退勤後さえ、時間があればクワガタを探しに出かける。図工室の壁には、ご自身が都内で採ったヒラタクワガタの大きな写真も飾られていた。  


「都内にもクワガタがいるんですね!」と聞くと、「幼虫が育つ環境さえあれば、どこにでもいるんです!」と嬉しそうに教えてくれた。  

続けて、どうしたらクワガタは見つけられるのかと尋ねると、「毎日通えば見つかる」という。  

毎日通うというのは、それだけ遭遇率が上がるということだけではない。  

クワガタは、本当は身の回りにいる。クワガタがそこに見えているのに、はじめは見えない。ところが、毎日通うことで、ある時「見えてくる」のだという。クワガタが見える眼のことを、玉置先生は「クワ眼」という。虫好きの子がカブトムシやクワガタを見つけることができる、感性や感覚を「虫眼」と呼ぶように、あるものに関心をもち、それを追求し続けていると、見えくるものがある。  

玉置先生は、同じように「図工の眼」というのがあるのではないか、と話す。  

図工の時間の子供たちも、繰り返し見たり、感じたり、考えたり、表したりすることの中で、ある時に見えてくるものがあるのではないか。それは、まさに各教科を通して働く「見方・考え方」のことだろう。   

「図工の眼」をもつ大人であれるか  

「こういう表現をどう見ますか?」そう言って、玉置先生が嬉しそうに子供の作品を持ってきてくれた。  

「木にセロテープでくっつけていたり」「ゴキブリとか、うんことか描いていたりするでしょ」  「こういうチープでナンセンスな表現って、子供が大好きだよね」  

そんな子供ならではの“諧謔味”溢れる表現こそ、大事にしたいと話す。   

  

玉置先生が「珍妙」「奇天烈」と呼ぶ、そんな子供らしい表現の面白さや良さは、学習指導要領や指導書だけを読んでいたら、気がつかないし、わからない。場合によっては「汚い」と言って避けられたりもする。  

それは、色がキレイだとか、形が整っているというように、概念では捉えられないものだけど、こういう表現が子供たちから出てきたときに、大人が拾ってあげられるかどうか、よしとしてあげられるかどうかが、子供が伸び伸びと表現をする上でとても大事だという。  

それは、変に解釈したり評価したりするということではなく、それを大人が面白がることができるかということ。つまり、それが見える「眼」をもっていられるか。  

学習指導要領には子供に必要な資質・能力、見方・考え方が書かれているが、大人にこそ、まず必要なものなのではないか。  

子供たちがうまくいかなかったと言って置いて帰ってしまったものを、玉置先生は集めて並べている。「こういうのが、かわいくて仕方ないよね」と、本当に嬉しそうに話す先生の、眼や心持ちが、子供たちの、子供らしい自由な表現を支えていて、その繰り返しの果てに、子供たちなりの「図工の眼(見方・考え方)」が育まれていくのだろうと思った。 

取材担当:渡邉裕樹(昭島・つつじが丘小) 

東京都図画工作研究会

TOKYO ZUKO EDUCATION

0コメント

  • 1000 / 1000