研究局 3月公開授業 協議会

3月5日(火)足立区立東綾瀬小学校(図工専科:大石 広和先生)にて行われた、公開授業についてご報告します。

◎協議会の様子

◎授業者自評


◎指導・講評 新宿区立津久戸小学校 指導教諭 平田 耕介 先生 

 授業を組み立てるときに、目的のある主体性と目的のない主体性という言葉について考えている。目的のある主体性とは、授業の条件。平等に与えられたもの。目的のない主体性とは、そこから子供が思いついて動かしていく主体性であると考えている。目的のない主体性を引き起こすためには、授業の中になにか異質なもの、イレギュラーなもの、人や物との対話があると、最初は目的があるのが気付きや発見が自分から起こってきて、だんだんと目的のない主体性が立ち上がっていく。よし、やってみようというような具体的な動機が動いてくる。この目的のない主体性が動きだすという事がその子にしかない、その子だけがもっている主体性によるものだと思っている。

 そこで、今日の授業の手立てを目的のある主体性とそうじゃないものに分けてみた。外的な動機[材料、場所、タブレット、人と関わる、人を映す、投稿する、伝え合う]というような絶対条件は沢山あった。一方もう一つの目的のない主体性、子供の内的な動機、この授業の余白…はどこにあったのかを考えた時に、[撮り方の視点を工夫する、人との関わり方、場を見付ける、身辺材料を使う、試す・つくるを繰り返す]というのが当てはまるのではないか。今日の授業では、子供の内的な動機による姿を追っていこうと思っていた。もう前の時間に目的が決まっているから、自分たちが決めた目的に向かっていこうとする姿がほとんどであった。そういうときに、子供の内的な動機はどこにあるのかを見取ることこそが、先生の目ではないかと思い、一生懸命探すと、やはりいくつもあった。

 最初カブのアイデアスケッチをしていたが、形が変わってきたことから、パイナップルに向かっていった。カブという目的がパイナップルに変わっていった。また、葉っぱの所を緑にするために、ガムテープの緑とポスカの緑を使って友達と協力しながら、関わって作っていったが、そこからこれを壊されたくないな、という想いが芽生えて行って、「じゃあ、張り紙をつくろう!」という風な考えが出てきた。これこそが自分でこうしてみようと思ったところではないか。「パイナポー」の「ポー」を青で書いて、「大きな」を赤で書いている。これも図工的な所かなと思ったりもした。それから、元から「逃走中」という目的があったグループ。目的に向かって宝物のような小道具を子供達も作っていたが、宝物を入れる、というところまでは考えていなかったようで、後半、友達と関わりながら、余った段ボールとガムテープを使って宝物を作って宝箱に入れていた。写真を撮った時には写らないものだが、それでもつくっている。これはまさに、内的な動機による姿であった。こちらは楽しそうに絵の具を作って手に塗って手形をとっている。これもまさに内的な動機による活動で、凄く楽しそうで、まさに余白の活動。これは指導案上の目的と違うかもしれない。でも、あってもいい。しかし、次の授業にどうつなげていくかを考える肝でもある。

 これから用意したものを流すので聞いてもらったり、見てもらったりして自分の気持ちが高まるかを感じて欲しい。(船の汽笛の音)何の音だかわかるだろうか?港の音。2年生の授業で「絵の具島」という題材をやる時に流す。「絵の具島から手紙が来た。見たこともない絵の具で描いた島をみんなで描きましょう。」という導入。去年までは子供達は、「港だ」「船だ」となったが、今年の二年生に聞かせると、2クラスとも「戦争の音」だと言う。どうしようと思った。同じ音を聞いても、子供たちはその時代とか日常の様子を敏感に感じて違うことを言ったりするのだと思った。

 今の子供たちはCGがあるからこそ、わたしたちは何を伝えるべきなのだろうか。どんな外的な動機で心の動きや高まりがあるのだろうかということを考える必要がある。そこが一人一人の気付きや発見の質を探っていく肝になっている。子供×発見というテーマで、発見や気づきに導くには、どんなことをしたらいいのかというと、子供がよく知っていること、子どもの日常。今日の授業では、展覧会が事前にあって子供の反応がすごく良かった。子どもの日常にあることからスタートしていたから。すごく良いなと思った。そこに、加えて想定外のこと、学校の中に作ってタブレットで撮って楽しんでもらうという新しいことを提案している。そうするとまた気づきや発見が生まれて、子供たちはこうしてみよう、やってみようという内的な動機がどんどん動いて楽しいものになってくる。だからもっとこうしたいというふうに思っていたのだと思う。そういう子供の内在した力が引き出されるようなことを図工は目指していかなければならないんじゃないかな。一番初めに言った、その子にしかない主体性。それが大事だと思う。

 最後に数学者の岡潔さんという方について。「数学は必ず発見の前に行き詰まる。行き詰まるから発見する。」やっぱり立ち止まるようなことがあっていいのだと思う。それからこんなことも書いてあった。「本を読むことよりも本を読みたいと思うことのほうが大切。」絵を書く事も大事だけれども、絵を書きたいと思うことの方が大事なのかもしれない。自分の中に相対する、その人にしかない主体性みたいなものを図工だけはしっかり見ていかなければならないのだと思う。子供たちはほかの教科とは違って、自分がこうしてみたいということをやりたくて、明日も図工室にやって来るのだと思う。

東京都図画工作研究会

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