研究局 8月オンライン研究会の報告①

8月22日(火)zoom配信(配信拠点校:杉並区立高円寺学園小)にて行われた、オンライン研究会についてご報告します。

今回も、2回に分けてお送りします。

講師に石賀 直之先生(東京造形大学教授)をお招きし、◆局長からの提案、◆7月局内授業の報告、◆局員3名による実践発表を行いました。

※スライド資料、発言等は当日のものを短くまとめています。


◆今年度の研究テーマについて(研究局局長:練馬区立北原小学校:金垣)

我々教師が日々相対している子供たち。彼らは我々大人と比べると経験も知識もかなり少ない。それは、逆に言えば「初めて」がたくさん残っているということ。図工で言えば形や色、材料、行為などたくさんの初めてに出会い、感動して成長していく。これはどの教科でも同様で、教員として大事なことは、子供たちの「初めての場」をどれだけ考えてつくって一緒に感動していけるかということだと考える。

そこで、今年度の研究テーマを「子供×発見」とした。

学びの主体である子供が発見を楽しめる図工をベースにし、大人(教師)も子供もたくさんの発見を楽しめるといいと考える。

研究テーマの中身として三本の柱を立てた。

「子供『が』発見する」

「子供『を』発見する」

「子供『と』発見する」

~子供「が」発見する図工の授業づくり~

学びの主体はあくまで子供なんだということを図工の授業を通して発信したい。子供が発見するものはたくさんある。形、色、ものやことに対する造形的な実感や自他の表現の価値等。

そのために大人である我々教師が意識をしていくべきは第一に子供へのリスペクト。未熟なもの、足りないものというのではなくて、無限の可能性を持っている子供たちの可能性をこちらが認めてあげる。そして、心が動く導入。導入でどう子供たちをつかんでいくか。昨年度までも、研究局で研究してきたことである。

~子供「を」発見する教師の目について~

簡潔に言えば、見取りの感度を高めていくということ。子供の活動を見取っていくことで、児童理解を基に、子供たち一人一人との対話を通して新たな価値を発見した様子であったり、これまでの学びがつながった様子であったり、自分の想いを形にした様子であったりと、子供が喜びを伴う発見をする瞬間を見取って一緒に感動できるとよい。

そのときに目に見えるものだけではなくて、子供の内側にあるものをくみ取ってあげたり、授業のねらいから外れているけれど、その子にとって意味のある造形的な活動を価値付けてあげたりしながら、一人一人のストーリーを見取っていけるとよい。

そして、もう一歩踏み込んで、今の社会を生きる目の前の子供たちに足りないもの、必要なものは何だろうという課題意識を基に我々教師が授業をつくっていくっていうことも大事である。

~子供「と」発見する多様な図工の価値について~

学習指導要領のその先へという思いを込めて設定した。これからの社会に出ていく目の前の子供たちに何を感じてほしいのかを考えていきたい。

具体的には、子供の学びを基にした題材の価値と、その先にある図工の新たな価値を探っていきたい。

子供の学びを基にした題材の価値は、子供の姿をとらえていくことでしか見えてこない。

図工の新たな価値は、これからの子供たちに図工を通してどんなことを残せるのか、ということである。実践とねらいの整合性を考え、授業についての振り返りを行いながら、その題材を成長させたり、次の題材につなげたりというサイクルができていくと授業がよりよくなっていく。その中で図工の新たな価値を発見し、それを図工の未来、子供の未来につなげていきたい。

~まとめ~

子供が発見する授業をつくって、子供を見る教師の目の感度を高めていくことで、子供と発見する多様な図工の価値が見えてくるのではないか。研究局では、その一つ一つの精度を高めていきながら、どこまで深められるかということにチャレンジしたい。

私の提案の枠はかなり広い。これをベースに、局員の皆さんが自分の経験や目の前の子供たちとの関係性を基に、「図工で大切なのはこういうことなんだ」という提案をしていく。そして、それについて皆さんで議論をしながら深めていくという形になるとよい。本日は一学期の局内授業の報告と3名の先生方による実践報告。講師の石賀先生と参加してくださっている皆さんと一緒に考えていきたい。


◆7月局内授業の報告(森・菅局員)・・・都図研HP「研究局 7月局内授業」「研究局 7月局内授業 協議会記録①」「研究局 7月局内授業 協議会記録②」をご覧ください。


◆岡本局員の発表(高学年)

テーマを「余白からの発見」とした。私なりの捉え方だが、今回のテーマにおける余白とは、題材がねらう活動の周辺の遊びの部分、思いがけない活動が生まれることがある余地と考えている。

教師は授業のねらいを設定して、子供がいかにその活動に向かえるかということを考えるが、授業ではねらった活動のみが展開されるわけではなく、子供の予想外の姿が見られることがある。教師として、それはうれしい驚きだったり、反省材料だったりする。

そのねらったポイントの周辺で起こる活動に、子供が進んで発見する姿があると考えた。

私は、図工の面白さは、一人一人の子供がそれぞれ違う活動をするというところにあると考える。

教師の期待した活動からずれたところで夢中になっている子供に対して、「やめて」とは言いづらい。子供の自然な好奇心が活動につながり探求できる余地が大きければ、もっとのびのびと活動できるのではないかと考えるときがある。

一方で、自由に活動できる授業は多くの子供にとって楽しいが、表現することが得意ではない子供にとっては苦しかったり、活動を深められなかったりすることもある。

活動の展開の余地が広い題材と、教師がねらった部分に迫る題材のどちらも大切だと思う。余白の大きい題材と小さい題材を繰り返すことで、子供の力が伸びるのではないか。

~「自分でつくって何かこう」の実践から~

これは余白の大きい題材ととらえている。主題を自分で決めることがテーマ。材料など選択の幅を増やすことで、絵に表したいことのイメージをもってもらいたいと考えて設定した。

まず支持体をつくる。好きな形に切ったり組み合わせたりしていく。この時の体の動き、絵の具に触った時の感触なども表現の材料の一部になっていく。

色からイメージを膨らませる、絵の具の作り方を考える、筆以外の描き方を模索する…いろいろなものを試しながら、何が適しているか、何を使いたいかを考え、想像を広げていった。

余白の大きい題材の良いところとしては、子供が獲得する能力が多岐にわたるということ。課題としては、活動にバリエーションが出る反面、やっぱり思い付かない子もいること。楽しく活動できているが、何が出来上がったのかよくわからない子もいた。

~「大集合版画」の実践から~

余白の小さい題材ととらえている。

構図の面白さを考えることがテーマ。紙のサイズ、インクの色を指定した。木版画の技術を使って、どんな工夫をした表現ができるか挑戦してほしいと思って設定した。

初めは不安な様子だったが、刷っていく段階になると面白さに気付いてやりたいことを思いつく子供もたくさんいた。

構図のよさを感じ取って表している子や、製作を進めていくうちに表したいことを見付けている子の姿が見られた。

やりたいことを見付けることが苦手な子も、刷る作業でとても集中して根気強く取り組んでおり、やりたいことが見付かった様子だった。余白が小さいことで、やりたいことを見付けやすかったのだと思う。

余白の小さい題材の良いところは、子供の活動に迷いがないのでねらいに集中できること。結果が分かりやすく、達成感を味わいやすいこと。課題としては、思いを深めることが難しいこと。きれいにまとまりがちで、イメージ通りにいかないと、「なにかちがう」という感じることが多いようだ。

余白の大きい題材と小さい題材では獲得する能力が違うように思う。どちらにも良さがあって、その中での発見がある。両方を繰り返し探求することで、表現を深めていくことができるのではないかと考えた。

◆質疑・応答

河原:岡本先生は「わからない状態」や「迷子」ということをネガティブにとらえているが、僕はよくわからないことが図工のよさで、大切なことだと思う。子供一人一人の速度は違うもので、教師は一人一人に速度を合わせて見ることも大切だなと思った。

ねらった活動と全く違うことをしている子がいたとして、全て肯定することは難しい。子供との対話を通して価値付けしていくことが大事だと思った。

版画の実践(余白の小さい題材)を見ていて思ったのは、この小さな余白の中にも、けっこう想定外を見付けてくる子はいるということ。先生は黒だけと言っていたが色を付けている子も何人かいた。その時に先生と子供たちの間でどういうやりとりがあったのか具体的に聞いてみたい。

岡本:これまでの版画の題材では、いろいろな色のインクを使うことを経験している。今回は形、構図の面白さにフォーカスしたかったので、黒という指定を入れた。でもやっぱり、既習の経験があるので使いたいという意見が出てきた。「よく考えたうえで、ワンポイントで入れる等、効果をよく考えて見極めて使ってごらん。」と伝えた。

zoomコメント:余白、とても素敵な言葉だと思いました。特に他教科だと余白という概念が生まれにくいと感じています。余白の大きい課題小さい課題を繰り返す。これはどの教科にも通じると思いました。

◆石賀先生からの講評

余白が大きい題材、小さい題材、それぞれトレードオフがあることは事実だと思う。余白が小さい題材は子供がよく考えなくてもオートマチックにできてしまう。だから教師が解像度を高くしてみていかなければならない。余白が大きい題材も、思考の多様性がある反面、よくわからなかったという子も一定数出てしまう。でも、余白の大きい小さいでダメとか思う必要はない。継続的にやるということでいいと思う。

ところで、「余白」と聞いていてみんななんとなくわかってしまうが、「余白」とは何なんだろう。それをきちんと言語化する努力を皆さんでしていけば、僕らの持つ価値みたいなものがもう少し伝わりやすくなるのではないかと思った。図工に関わる人たちはみんな分かっている雰囲気があるが、同じ教育業界の人でもわからない人もいると思う。「余白」を別の言葉で言うとどうなるのかな、と考えながら聞いていた。


◆桑村局員の発表(中学年)

校庭など様々な環境の中で心を活発に動かし、風を感じ、温度を感じ、光を感じ、広さを感じ、においや手触りを感じ、たくさんのものと出合い、気付く。その一つ一つがすばらしいことだと感じさせたいと思った。

いろいろな場所に対して諸感覚を働かせて関わり、表したいことを見付けたり、作品を飾りたい場所を考えて飾ったりするような活動を3年生1学期に多く設定した。

~「わたしの6月の絵」の実践から~

校庭で造形遊びをした翌週、6月になって梅雨に入った。この前まで造形遊びをしていた校庭には、海のように大きな水たまりができた。本題材では、雨の校庭を歩いて、6月らしいものを探した。

梅雨の校庭をモチーフに絵に表す中で、「季節による場所の変化を味わう」「表したいものを身近な場所から見付ける」ことをねらった。

ある男の子が、教えてくれた。「先生、ぼくの服、雨でぬれたら色が変わったよ!これも6月だねえ。面白い!」雨でぬれた服の色が濃くなるのはごく当たり前のことだが、そこに面白さを見出せている姿はまさに発見ではないかと、ドキッとした。その子は、画用紙をたっぷりの水で濡らしたところに、絵の具を垂らして雨の中の世界を表していた。雨から得た水のイメージや、色の濃淡を生かして表していた。

1学期末の3年生の姿を見ていると、自分の気付きや出合いを大切にしたことが、その後の表現への自信につながったと考える。

また、自分の活動によさが見出せるようになったことが、他の人のよさを感じられる感性につながったと考える。

◆質疑・応答

菅野:城東大会で気付きをテーマに分科会をもった時に、図工以外にも気付きを重要視している教科がないか調べた所、「生活科」が該当した。今回は3年生の実践発表であったが、低学年での生活科からのつながりや似ている部分を感じた。

子供の気付きを鑑賞の時間で共有することがあるが、そういう時間を設定したほうがいいのだろうか。あえてやらなくても伝わっていることもある。先生はどのように考えているか聞きたい。

桑村:気付いたこと、感じたことが全体に広がったりとか、他の子も知ることができたりできるといいと思っている。現状、教師対児童の一対一のやりとりになってしまっていることが多い。今回、作品を自分たちで好きな場所に飾った時には、みんなで歩き回って、他の作品を見て気になったことがあったら後で聞いてごらん、と伝えた。

◆石賀先生からの講評

気付きって、他の教科も大事にしているけれど、どれぐらい大事にしているか怪しいことがある。もっといろいろなことに気付いているはずだけど、学習に発展しやすい気付きにばかり注目するところが、学校教育でよくある。子供の気付きをどれぐらい大事にしているか、ということを私たちは疑ってかかったほうがいいかもしれない。

桑村先生は、自分がこの授業をどうこうしてやるとか、そういう感じじゃなくて、もっと全体的にその時間とか場所を見ているような不思議な広い視野をもっていると思った。子供の気付きに関しても、教師から子供への「気付いてね」ではなくて、もっと本当の意味で、その時間に子供が気付いたことを自然に見るような、指揮者というかプロデューサーみたいな視点をもっていると思った。図画工作の学びが周りとの関わりの中で起こるということを体現されているような感じがした。


今回はここまでです。後半は、石渡局員の実践発表と石賀先生からの全体を通した指導、12月の大会授業につながるお話をお送りします。

東京都図画工作研究会

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