【研究局】令和2年度 第4回局会夏季研修報告 持ち寄り研
8月23日、第4回の研究局会夏季研修がzoomで行われました。
今回は聖学院大学特任教授の柴﨑先生が講師として参加してくださいました。授業者の思いと柴﨑先生や局員同士の協議内容をご報告します。
【足立区立竹の塚小学校 清水先生】
「いろイロLINEコレクション」(3年生)
【柴﨑先生】
紙のバリエーションが最初提示されていたが、私も与える紙をいろいろ工夫して、子供たちがどこまで気付くだろうかといろいろ試したことがある。例えば、四つ切の画用紙の角をわずか5mm丸く切ったら子供たちは反応するのかとやってみたら、反応したのはクラスに一人で、あんまり頓着しないということもわかった。とはいえ、そこで用意される紙のバリエーションは先生のセンスであり、子供の感覚との交流ということもあると思う。最初の提示で、先生がある意味仕掛けているところがある。その辺の思いについて聞きたい。そのことが、子供たちの活動に何か影響してくるのではと思うが。
【清水先生】
紙の大きさについては4種類用意した。
・正方形 天地がないので意識しないで表せる
・長方形 たて 横を意識して表すかな、という思いで。
・細長い紙
・B5 割と大きくかけるので、線の動きも変わってくるのではと考えた。
【柴﨑先生】
コレクションという、作品にならない形でみんなが持っているというのもなかなか面白いかなと思う。それをみんなで鑑賞する中で、子供同士ので「あれ、これ○○くんらしいね」とか、線であっても「その子らしさ」がてくるとか、その辺のところもこれからの活動で探ってもらいたいかな。
【清水先生】
現状では、手に取って見るのは難しい。本当はラックに飾って自由に見る時間をとりたいが落ち着いたら作品を見る機会をとりたい。
【柴﨑先生】
絵って線なんだけど、それを拡大すれば色の面でもあるみたいなことも一緒に見えてくると思う。そういう面白さもきっとあるだろうと思う。紙のことは、こういう題材の時は悩むはず。私も常に悩んでいた。どういう大きさがいいか。こういう紙を出したときに、どういう紙が人気だったか…とか様子を聞きたい。
【清水先生】
長方形(写真サイズ程度の大きさ)の紙は子供たちに馴染みがあるのか、人気があった。最初に共有する時に、この紙でやったというのもあるかもしれない。大きいサイズよりも、小さいサイズの方が人気だった。コレクションとして、いっぱい貼れるからかな、と思っている。
【柴﨑先生】
今の話を聞きながら、コレクションするという題材の、一つの指標となるのかなと思った。また、最後のシェアするというところだけど、ここは、この題材のすごく面白いところだと思う。何気ないものに何か感じたり、ある子の特異な何かを線から感じたりするとしたら、それはこの活動の豊かさになる。しかし、シェアする時に、先生がそういう視点をもっていなかったら見過ごされてしまう。先生が「○○ちゃんって、どうしてこれ△△さんのってわかるの?」というように取り上げてあげるとよい。線と形だけなのに、何かやりとりできるとするならば、この題材の豊かさがそこに出てくると思う。シェアすればそういうことがおきるのではないか。ただ、こちらの感度がよくないと、キャッチできないまま通り過ごしてしまうので、その辺のところは意識しておくといいと思う。
【八王子市立第一小学校 森先生】
「心のもよう~私のすごい方法~」(6年生)
【柴﨑先生】
創造性というのがすごく面白いところ。図工の学習指導要領の目標に「創造~」という言葉が3回出てくる。ただ、創造性は言葉で教えられものでもない。教えられないものが目標の中に入っているわけだ。教えられないものが書いてあるところが面白いし、この教科の豊かさであると思っている。創造性は、結局、そこで受けとる人がいないと、その種は子供たちと共有できないまま消えてしまう。実は日常的に創造的な姿はそこここで生まれているのではないだろうか…でも大方見過ごされているか、勉強の途中で「そんなところで遊んでいるんじゃないよ」と言われて排除されている可能性すらある。子供は、遊ぶことで学ぶが、学んだことでも遊ぶのではないだろうか。学んだことを使って遊んでいるのに、表面的な行為だけ指摘されて怒られるということもあると思う。つまり、創造性というものをもっと柔らかく見たいものだなと私は考える。
『こころのもよう』ということは、心を抽象化するということかな。抽象化するというのが、ある意味美術の核心に触れる内容だと思う。色と形に置き換えるわけだから。これは、非常に高度な活動で、私たちの教科の、ある種中心的な課題だと思っている。『こころのもよう』ということを森先生が言って、子供たちがパステルで気楽にかいているところ…が大切…だからこそ本質的なものが出てくるのでは…と思う。出会ったばかりの6年生は難しいけれど、長年付き合っている6年生であれば、絵を基に、かなり深いコミュニケーションができると私は思っている。私も、こういう『こころのもよう』的な授業をやってきた中で、子供のプライベートな「秘密の秘密」くらいの話を、抽象であるからこそ(現実の具体性がなく、個が守られているからこそ)やり取りできたことがある。「気持ちが誰かに囲まれているね」とか、「何かに責められてない?」とか。抽象だからこそ、今の子供自身とそれを見ている先生とで深いやり取りができることがある。
抽象絵画ということを言葉では子供に教えることはできないし、教えてもうまくいかない。なのに、「こころのもよう」ですんなりとそういうものに近づけていける。深いところのやり取りや、「先生それ気付いてくれたの?」という気付きがあるだけで、教師が子供の創造性とか人生とかそういうものに深くつながっていける糸口があると思う。それは学習指導要領には一切書いてないことだけど、この教科の核心的なところがこの題材に開かれているのではないか。
次に、「こころのもよう」をいくつか集めて、それを大きな1枚にするというのが、子供たちにとって一つのギアチェンジとしてあると思う。それがすんなりいったのか、あるいは、子供たちが「えっ?」ってなるのか、多分個々にいろいろな反応があったと思う。そのギアチェンジに、この題材の構造があり、子供達とってそれはどうだったのかを検証する必要があると思う。子供達にどんな意味をもたらすか…もっとすんなりいく工夫等々…、研究の余地があると思うが、どうだろう。
【森先生】
いろいろ試してやって、一枚にするのは悩んだ。自分の気持ちやこころのもようのところに、フォーカスしなくていいかなというのが実感。一枚の作品にする時に思い直したところというか、なんかこのまま自分の気持ち、こころのもようのままやっていってもいいと思ったが、随分楽しそうにやっているから、「じゃあ、みんなが楽しく作ったたくさんの素材を使って作品をつくろう」と投げかけてみた。しかし、それだけでは、ただ貼った、並べたになってしまう。そこでマティスの本等いくつかの資料を見せてみたり、「重ねてみると面白いよね」とか、「組み合わせてみると見え方が変わるよね」と話をしたりしてやってみた。その過程で、「島の絵にしたいな」とか「これが波みたいだから、波の絵にしよう」とか思い付いた人はいいけれども、半分~1/3の人は、つくったのを並べたはいいけどどうしたらいいかなという抵抗感があったように感じる。私は、全体に説明もするが、一人一人と話すことの方が大事だと思っているので、あとはその子としゃべりながら、見付けるとか方向性を一緒につくっていくという感じ。でも思い付かない子は、私の言われるまま背景をぬってみたり、つけたしてみたりで終わってしまった。ギアチェンジと言っていただいたが、その段階でもう一工夫あったらもう少し違うものができたのかなと思う。
【柴﨑先生】
これも清水先生の実践と同じで、友達と「見合う」というのが楽しいところで、色と形だけであっても、結構プライベートなものがここに出てきて、お互いを感じ取れるということがあったとしたら、子供たちのすごく面白いつながりを感じられるし、色と形の世界の気付きになると思う。私もこころのもようのような題材は結構やっていて、かなり長く付き合って6年生だと、面白い話をしたな、と今でも印象に残っている。
そういう意味でも、今、コロナのやりきれなさとか、ある種家族の危機みたいなことが表出されている可能性もあったりするのだけど、それはさりげなく出てカタルシスを得ることもあるだろう。また正直なところ…その多くを私達は見逃してしまっているのかもしれないと思う。そういうある種の心の真実みたいなものが、森先生が気楽に提案していることで、子供からボソッと本音が出しやすい状況につながっていると思う。気楽さは大事。
【森先生】
私は子供たちと出会ったばかりでわからないが、できたものを紹介したときに、「これ○○ちゃんの」と紹介すると、「っぽい!」「わかる!」みたいな反応がある。そういうのが結構楽しい。
【柴﨑先生】
それだよ、それ!私たち図工専科しか感じられない、色と形にも一人一人の世界があるので、やっぱりうまく反応してあげるというのが私たちのテーマだと思う。少なくとも、どんな風に反応してあげたらいいか、そういう興味がもっと拡大するような話、対応、言葉の吟味などがあると、ぐっとくらいついてくる子がいると思う。ここに研究課題がある。
【多摩市多摩第一小学校 内村先生】
「モノクロペーパーアート」(5年生)
【新宿区立戸塚第一小 河原先生】
内村先生は授業の始めによくワークシートを使うが、私は若い頃、あまりワークシートの必要性を感じていなかった。でも、年を重ねて考え方も変わってきて、最近、ものをつくる前に、言葉にするとか、友達と話すとか、軽く絵にかいてみるとか、そういうことをやり始めている。内村さんとしては、どういう意図でワークシートを使っているのか聞きたい。
【内村先生】
子供たちにとって題材との出会い方は大切だと思っている。その上で、題材と出会う前に、「自分ってどうなんだろう」という自分と向き合う時間をとってあげたい。ワークシートは、子供に答えを書かせるようなものではなく、「今日は提出しなくていいよ」という、自分自身への手紙みたいなものとして、つまり自分自身を掘り起こす、プライベートなものとしてとらえさせてあげたい。無理矢理言葉として出させるのではなく、自分なりに考えを練る時間として言葉を使わせてあげたい。自分だけわかればいい中身でいい、という意図で。
【武蔵野市立本宿小 栗本先生】
内村先生は以前、学級担任をやられていた。そういうきめ細かな授業規律みたいなところがしっかりされているというのをいつも感じている。一方で、ワークシートもそうだが、表現方法とかテーマとか材料が結構縛られているなとも感じる。ただ、縛っているのだけれども、子供が自由に楽しむところを見付けてやっているから、私自分の中でも全否定できない部分があると感じている。縛られているから子供が安心してゴールに向かっていけることもある。そこには発想も縛られるのだが…。例えば、「子供の実態によって、主体性がない状況のときにはどうすればよいか」今の教科書や図工という教科自体の流れの中では主体性ありきでつくられているため、あまり語られない部分ではあるのだけど、みなさんどう考えている?私は自由にさせすぎてしまって、収拾がつかなくなるみたいなところがあるので、そういう時の対応について悩んでいる所。学校や職員の状況によって図工の自由さをどこまで保証しているのか悩んでいる方も多いと考えている。
【内村先生】
そこは緩急をつける必要があると思っている。自由にやる題材と、ある程度焦点化した題材の行き来が子供たちにとって大事なのかなと思うところがある。割と机の上で細々とやることに今まで見せたことのないような集中力を出したりする子もいる。迷う子がいないというのは、ある程度の縛りがあることの自由さというか、狭さから想像してく中で発揮できる力もある、という感じ。そういう緩急が面白いのかなと思う。
【練馬区立石神井東小 田中先生】
内村先生の題材を見ていて、子供たちの表現が多様で、豊かにやっているなというのは伝わってきた。ただ、「何でこの題材なのかな?」とは感じる。子供たちの実態や子供たちにどう育ってほしいということを考えて、私は題材を考えているが、内村先生のその辺の思いを聞きたい。
【内村先生】
「ちかのまち」という題材では、「地下」というシチュエーションで自分のやりたいことを徹底的にやって欲しいな、地下の世界を借りて、自分の思いついたことをやって欲しい、と考えて取り組んだ。それはそれで縛られているが、自分の思ったことをあきるまでやってほしいなというきっかけとして、「ちかのまち」を設定した。「モノクロペーパーアート」は、4年生まででいろいろな色を使わせていたので、色を限定した中で、モノクロの新しい感覚で試行錯誤して欲しいなという思いで設定した。
【世田谷区立烏山北小学校 菅先生】
「色を重ねて夢を広げて」(6年生)
【新宿区立戸塚第一小 河原先生】
私もこの題材を行ったことがあるが、四角の画面ではなくいろいろな形で行った。菅先生の作品をみて画面の形を多様にすればいいものではないと感じた。四角の画面にすることによって、子供たちは自分の表したい色と形にのめり込んでいけている気がした。
図工の題材は代々受け継がれていくような側面ももっていると考える。退職した先生方が行っていた題材や思いを、そばで見て感じていた先生が自分の形に落とし込んで行う。図工独自の風土であると思う。それは、とても大事なことだと思う。また、若い先生方に自分たちの関わってきた、もう現場にはいない先生方の図工観や題材観、人間観を伝えていく必要性も感じている。
終わりに…
【東村山市立南台小 河野先生】
いろいろな課題、注目点が出てきたなと思っている。これは実は都内の先生方も知りたいところなのではないか。縛りとか限定とかいう課題は、研究局だけではなく、都図研全体としてもずっと話題になっていることで、それを研究局としてはどう考えているのかなということも知りたい所ではないか。ここで共有できたのはよかったと思う。ワークシートの良し悪し、題材によって合う・合わないがあるのではないかということを内村先生の取り組みから私も考えた。題材をつくる上で考えさせられる持ち寄り研だったのではないだろうか。菅さんの題材についても、実際にやっている方が、それぞれの切り口でどのように考えてやっているか、見られたのがよかった。
【柴﨑先生より】
今日こうやって、作品や授業の内容を見合って子供のことを語ることは、すごく大事だということを再確認できた。
コロナ禍で、私は大学の美術室でやる授業をずっとオンライン授業でやってきた。同じ材料や場、お互いの身体を介在しないまま、個別にただ水で遊んでみようとか。遊んだところをじゃんじゃん写真に撮って送ってこいとか、とても無茶ぶりをしている。こんなことで何か伝わるだろうかと、半信半疑でやってみたら、ここまでやるかと思うほど、一生懸命に取り組む学生もいて、意外な発見があった。つまり、オンラインでやることで教室環境や一定の時間に縛られず、それぞれ個の広がり深まり…それがストレートに活動に表れるケースが見られた。言い換えるとそれは普段の美術室では見られないとんがり方だった。その実践を次の授業で紹介するとみんなが唖然としながらも、次第に全体がとんがりだすという面白さもあった。オンラインになることで、失うものがある…手触り、感触、感覚や表情での交換、その欠落をどうしたらよいか…と未だに戸惑いつつ、まだまだ失うものの大きさをしっかり掴み切れていない…その実情を真に知るのはこれからだと思う。
一方で、内村先生の実践の白黒の作品を見た時に、子供たちが感覚的に何気なく友達の作品をやり取りしている空気が伝わってきた。多分、お互いの表現を見ながらちょっとした言葉が生まれ出て、やり取りが交わされて、あのような作品が生まれているのだろう。そこには、教室で「みんなで一緒に取り組む」ことの、ささやかに見えて大きな…創造的な能力の表れがあると実感した。
最後に…授業としての完成度とか、在り方をいつも考えるが、ともするとそれが、大人から見た視点から脱却できないままになってしまうことがある。授業は基本的に子供にとっての授業、大人の視点で整合性がとれているから、よい授業かというと決してそうではないと思う。子供にどう見えているのか…子供の身体がどう感じているのか…ということが重要だと思う。最後の菅先生の題材で、ねらいを明確にするという話があったが、ねらいを明確にすることは、子供にとって、わかりやすさにつながること。子供にとってのわかりやすさ…言葉にすれば容易だが、それを「具体的な手立て」として、子供の身体に向けて提示するのは至難の技だ。このことを私たちは常に大事に考えていかなければならない。
またどの題材でも、「作品にするテクニカルな問題」が出てくるが、それだけでよいのか…ということだ。
自分も実践経験でいろいろな失敗を積み重ねてきて今では、技術についても、ゆるやかに子供の成長と共に子供の内に自然に必要が生まれ、呼応するように生み出す・手渡すという過程が大切だと思っている。いろいろな議論の仕方があるとは思うが、最終的には「子供の表現」なのだということ、その表現のために個々に技術の必要が生まれる。…とすれば技術は個別・個性的な側面もあるはずだ。
最後に内村先生のような、子供との関わりを続けていくことで、学校の中で子供たちにとって「特別な存在」になることだろうし、教師集団に揺さぶりが生じたり、学校文化に亀裂が生まれるかもしれない。でもそれこそが図工専科としての存在意義ではないだろうか。時として子供にとって深い課題が図工表現としてふと立ち上がってくる…そこを大事にしたい。学習指導要領には書かれていないけれど、その子が生きて、感じているものが題材の姿を借りて「表現される・現れる」…そのことに真摯に向き合うのが私たちだ。子供たちがそこで、しっかり受け取る大人に出会えたとしたら、その子にとって人生を肯定する大きな力になるのではないだろうか。今日の先生方の実践と指導の仕方、気の配り方を見て、私はそんなに違う話をしているとは思えなかった。今の教育の世界ではあまり語られない「表現を通して関わり、見えてくるリアルな子供たちの姿」…そこから生まれる言葉や物語が、教育にとって新たな地平を開くと思う。それを常に心の片隅において、今後も研究してもらえたら…と思う。今日はとても楽しかった。
いかがでしたでしょうか。今回は4校の題材と柴﨑先生との協議を中心にご紹介しました。このように持ち寄り研修で、作品と子供の姿について語ることの大切さをあらためて実感できました。また、柴﨑先生のお言葉から、我々図工専科が子供たちの表現や行為を肯定的に捉える目を大切にしていくことで、子供たちにとっても図工の時間がより素敵なものになっていくのではないか、ということも感じられました。今後も子供たちにとって信頼ある大人の一人になれるよう取り組んでいきたいと思います。
さて、次回は9月の研究局会のご報告になる予定です。よろしくお願いします。
担当 練馬区立北原小 金垣 洋
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